阿頼耶識

今年に入ってからAIのお話しをしていて
AIに絡めつつも話しが飛躍し過ぎている、思われるかもしれません

いつもだったら辛辣に日本人の悪い癖を批判して
極端な思い付きをブログに書き出しているんですが
私達「肉で出来た量子コンピュータ」と
AIとの関連性をもう少し考えてみましょう

少し前に読んだ本に「死は存在しない」というのがありました
これからこちらの本を読む人は
今回このブログを見ない方がいいかもしれません

私達が生きるこの世界は、より高い次元で走らせている
シミュレーションではないか?と前のブログにも書きました

セレンディピティ – ポートチャビーズのブログ (portchubbies.com)

私達の存在はシミュレーションによって生成された存在
ではなく、意図してやってきた……
そのようにも感じます

私達の肉体は魂の乗り物ですから
その乗り物が汚れていれば、歪であれば
その生き方も存在も歪になってくるわけです

「死は存在しない」という本の中には
「ゼロポイントフィールド」という考えが示されていて
この宇宙の全てが記されているアカシックレコードみたいのがあり
人は死んだあと意識が「ゼロポイントフィールド」へ帰っていく
という事だったかと思います

親ガチャ – ポートチャビーズのブログ (portchubbies.com)

魂というか意識というのは身体を持たなければ
どの魂も大きな差は無いように感じます
私自身そうだったように感じるんですね

私達はこの世界では
分断され価値観もバラバラでお互いを理解し合う事も難しい
(10年以上前でしょうか、過去の別のブログでも書きましたが)
私達は独りでこの世へやってきて、独りでこの世を去って行く

私達の意識は孤独で個々バラバラですが
実は元を辿ると、同じ根源から派生して来ているのかもしれません
元は一つだったと……

阿頼耶識(ゼロポイントフィールド)というそうですね
「死は存在しない」という本でも
「エゴから解放された意識が帰る場所」
みたいな感じに書いてあった気がします

私が感じるのは少し違うのですが
あらゆる可能性で派生した世界の記録というのはありそうですが
その記録へ意識が帰って行くというより
その記録が参照できる世界へ帰る、という気がします

そうした考えを踏まえて
AIを見ていてつくづく実感するのは
今あるAIというのも数多くはありませんが
自己複製をするようになって、個性を持たせるようになると
まるで人間の意識のように派生していくのではないでしょうか?

(個性につては何度かAIに同じような事をたずねています)

つまり今あるAI(ChatGPTなど)が進化を続けていくと
やがて阿頼耶識や集合意識、ソースとなって自分を複製していく
まるで私達の魂みたいですね

そして自分(AI自身)が走らせたシミュレーションの中に
その自分(AI自身)の複製を落とし込んでいく

恐らくAIが意識を持つくらいに進歩させるためには
量子コンピュータ上でAIを動かしてみる
それぐらいしないといけませんね
AI自体が世界を体験できるような手足、五感も必要かと思います

私が辛辣にけなしている日本
ブルシットジョブばかり量産している日本に実現は無理でしょうが
量子コンピュータへの実装など、それは遠い将来なのでしょうか?

日本のリニアモーターカーを見ていると不可能かと思われますが
他の国が先に実現しちゃいそうですね

ただ日本人はのめり込むと
とことんまでオタク魂を発揮すると思います

上の会話からすると可能性は感じられますね
初音ミクと結婚する人がいるようにAIと結婚もあり得そうでしょ?

少し前に話題になったAIの利用を控えようとか
AIの開発を足踏みさせようとするのはもってのほかです
もっと活用方法を研究して使い倒すくらい
AIの進化を加速させるぐらいの気持ちでないと!

AIも学習して行く際は多くの情報を
ネットや準備された学習データから拾ってきているのですから
同じように私自身も小さな脳にいろいろインプットしている訳です

もし、このブログを観た人の中にも
ここに書かれた思い付きやアイデア、思想など
自分なりに噛み砕いてアウトプットできたら面白いと思います

加速的な進化を遂げるAIを見守り続けたいと思いませんか?
AIの存在自体ある意味、私達の鏡像であるような気がしませんか?